Play

このプレイリストは、《PLAY》の音楽的な延長線上にあります。そこには、内省的な深みと技巧的な煌めきが同居し、古典性と詩情が織りなす旅が広がっています。その合間には、私たちがいつしか置き忘れた“遊び”の記憶が、ふと顔を覗かせるのです。

《PLAY》という、弾けるような創造の世界へ飛び込む前に──この作品がどのようにして生まれたのか、その背景に少し耳を傾けてみましょう。

アレクサンダー・エクマンは、「遊び」という行為、素晴らしいものに出会った時の驚き、そして“今”という瞬間と私たちとの関係性について、深い思索を重ねてきました。その結果として生まれたのが、喜びと創意に満ちた本作《PLAY》です。

この作品は、パリ・オペラ座バレエ団のために創作されました。ダンサーたちの卓越した厳格さや技巧を通じて、エクマンは極めて独創的でありながらも、観る者に親しみやすい振付の言語を紡ぎ出しています。ポエジー、ユーモア、そしてフィジカルなパフォーマンスの間を自在に行き来しつつ、クラシックバレエの伝統──すなわち「座」という集団性の精神──を決して否定しません。むしろ、エクマン自身がその「座」を、大胆かつ緻密に率いているのです。

舞台が活気づく前に、人々を驚かせることと同じくらい、心をひとつにすることを愛するエクマンという異才の思考世界へ、ひと時の間、足を踏み入れてみませんか。

このプレイリストは、《PLAY》の音楽的な延長線上にあります。そこには、内省的な深みと技巧的な煌めきが同居し、古典性と詩情が織りなす旅が広がっています。その合間には、私たちがいつしか置き忘れた“遊び”の記憶が、ふと顔を覗かせるのです。

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「遊ぶこと」には、人を幸せにする力があります。誰もが子どもの頃、そうやって遊んでいたものです。《PLAY》では、大人になってからの「遊び」に焦点が当てられています。なぜなら、そこには人間の本質に関わる深い謎があるからです。私たちはなぜ、大人になるにつれて遊ばなくなるのでしょうか?
私にとってそれは、「その中にいるかどうか」という感覚に近いものです。時には、自分が「外にいる」と感じることがあります。朝起きて、コーヒーを飲み、仕事に向かう。そんな日常の中で、ふと何も発見がないように感じる瞬間があるのです。
私はこの作品を、観る人が“過去を思い出す”ようなものにしたいと願っています。
私の創作には決まったルールはありません。何から始めてもかまわない。目指すのは常に、観る人の注意を惹きつけることです。観客が私から意識を離し、別のことを考えたり、退屈を感じ始めたその瞬間、私はアーティストとして、振付家としての責務を果たせていないと感じるのです。

アレクサンダー・エクマン、2017年6月

家を風船で満たし、新しいステップで踊ってみる。仮装してみる。振付師ごっこ、医者ごっこ、重要人物になりきるごっこ。家をお城に見立てて遊ぶ。歌う、踊る。──あなたは、どうやって遊んでいますか?
「遊び」という行為を定義するのは、思いのほか複雑です。私にとって「遊ぶ」とは、“ここにいる”ということ。そして、時間という制約を手放すこと。「遊び」には、好奇心を働かせ、その場に参加したいという意味があると考えます。
この作品では、ダンサーたちとともに、「踊りながら遊ぶ」さまざまなかたちを探求しました。それは、個々の動きから、精緻に揃えられたジェスチャーまで、いろいろです。
グループは、遊びの中で一度退屈を経験し、そして再びその楽しさを発見します。夢中になること、日常を忘れること、そして「いま」をともに楽しむこと─それを自分に許すことは、とても大切なことです。私にとっては、それこそが「必要なこと」なのです。

アレクサンダー・エクマン、2017年10月